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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

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引越し中に

2014年01月28日

勿論私自身の話ではなく、HFCのこと。

まさか公式HP上に写真まで出てくるとは思わなかった。

で宏太もツイッター上に様子を出しているのであるが、その写真の中に懐かしいものがあった。

それは私も持っているので、それを含むものを載せてみる。

1390850662-DSC_0448-1.JPG


ここでいきなりであるがクラブ情報誌の歴史について触れてみる。

これらが発行される前に「コンサドーレマガジン」のタイトルで発行されていたものがあった。
発行元はイエローページで。

しかしこの情報誌は、1998年J1参入戦に破れたことを契機に休刊(実質廃刊)となってしまうのだな。

1999年、これに変わる形で不定期に出されたのがこれらである。全5冊。
北海道新聞社から無料で。

縦長という変形サイズのために、未だに扱いに苦労してるのであるが。

翌年2000年からは「月刊コンサドーレ」としてスタート、そこからは毎月欠かさず買っているのであるが、創刊号の表紙は現在鳥栖にいる彼ではある。


ついでに言えば、私自身の本格的なサポ暦の起源は前出のJ1参入戦にあるわけで。いやああの4連敗は相当堪えたし、初代J2チーム、オリ10という歴史になっていくわけであるのだが、あそこでもしJ1に行っていたとしたら、存外ファンの域を出なかった現在ではないかと考えるわけで。

あれがあったからこそ、現在に至る我々の手で支えなければの意識の萌芽があったのではなかったのかと。

故に「弱いから応援しない」との発言を目にすると、結構憤りが起こる。
勝ち馬にしか乗れない奴に何が判るか。
むしろ逆で、弱いからこそ何とかしていかんとならんだろうにと。


妙に暑くなって脱線してしまった。

あれから15年を経て、まあどのくらい成長できたのかは、自身を振り返って見ても疑問ではあるのだがね。

今年J3が始まる部分については、いろいろあれどもやはり無視はできないよな、と無理にまとめてみたところで今朝は押しまい。



おまけ。

あの冊子が出た頃には、ドームもなく、ましてや公が北海道にやってくる以前の話であるが、中を見れば興味深い広告がある。

その昔「週刊コンサドーレ」なる番組が月曜深夜にあったわけだが、それと別にローカルで土曜夕方にもスポーツ番組があったのだな。
この番組についてはかろうじて記憶にある程度であるのだが、司会が現在「ハムオシ」と揶揄されるコーナーがあるあの番組と同じ人だったとはまるで記憶にない。


post by akira37

04:41

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