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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

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小さい

2016年10月06日

漠然とこの単語を想起したのだな。

今いろいろな場所で起きているニュース素材を見ているとそう感じるもので。

国会にせよ、五輪・豊洲の問題がある都議会にせよ。
そこでのやりとり、また内容を見た時の気分、至るのが「小さい」。


国会議員というのは、少なくとも国のことを考えて行動するものだと思っていたのだが、突き詰めるとそうはなっていないようで。

一部の、ごく至近な範疇だけの幸せしか求めていない。
自己の満足のためには、今しか見てもおらず、他人や将来についての責任も考えずに無理筋でも進めればいいのだろうと突っ走る。

だもんだから、ちょっとでも幼児性を指摘されると、キレてしまうような国の代表をみてしまうと、その存在がまずは悲しく恥ずかしいということになってしまう。

大局観が重要視されるべきところが、実際は矮小化した中しか見ておらずとなれば、この先もひたすら暗い。


単純に自ら動く人は尊重するべきだとまずは考えるのだな。

どんな些細なことであったとしてもだ。

それを何もせず、安全な場所から非難する輩がいる。

思想面で相違があるのがごく自然なことだが、ちょっとでも自分と考えが違うのを見ただけで、馬鹿阿保と喚き散らし人格をも否定しかねないような表現しかできない高齢者を見ると軽蔑するしかない。

口だけ、ちょっと人と角度が違う表現をしただけで、さも偉くなったように勘違いしているのをみかけるとやりきれなくもある。

こういう姿も、所詮は一部の仲間内だけで通じる論理にしかならないとなれば、至るのはやはり「小さい」なのであろう。


日々仕事を進めていくうえで感じることを言えば、漫然と同じとことの繰り返しが面白いのだろうかというのがあって。

いやどんなに単純作業であったとしても、何か変えられないかの意識は持ち続けないと。

慢性的に、見たいものしか見ない、という姿勢が感じ取れると、こちらとしてはがっくりしてしまうのだな。

制限を設けた時点で成長は止まる。

結局器としても「小さい」で終わってしまうんだろうなと。


相変わらず疲れ果てている。

これは頭の中といえば大したことでもないレベルから常に何かしら考えているが故に、こんな感じになってしまっているのかね?


post by akira37

04:41

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