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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

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30年目の節目で改めてまた

2025年01月17日

元日の投稿で、今年は節目が多いということを書いていた。その中での最初が今日になる。 改めるまでもなく、今日は阪神・淡路大震災発生から30年目の日である。年数で区切ることの是非はあるのだろうが、忘れてはならない日の一つとして、改めて記する部分はあるのだな。

30年前は「成人の日」はまだ固定された1月15日であった。当日は日曜日だったから翌16日が振替休日であり、17日火曜日がその週の実質の始まりの日という感じであったわけである。 普段から早起きであったから、発生時刻には当然のように起床済みであったわけだが、その後のあらゆる映像を見ながら唖然として行ったのだな。 高架になっている高速道路が横倒しなっていたり、その上を走っていたバスがかろうじてとどまっていたり、ビルの倒壊も多数あり、今まで見たことがないような世界ばかりであったのだな。

そしてこの時に思ったのは、地震はいつどこで起きてもおかしくないフェイズに入ったのだということで。 当時関西方面では地震が起こるとは言われていなかった。実際それまで大きな地震が起きるといえば、北海道でいえば浦河沖や釧路沖、東北でいえば宮城沖と限定的であったわけだが、まさか起こらないと言われた場所で発生に驚いたとともに、これから先はいつどこであってもおかしくないという思いになるのだな。

その後の最たるものが2016年の熊本地震であり、2018年の胆振東部地震ということになるのだな。両者とも今までの感覚からすれば起こるはずの場所ではなかったわけだし。

被災という観点でいえば、胆振東部地震は直接的なことよりも停電という予期せぬ事態で大変だった記憶が今でも新しいことであり、あれからまだ10年は経過していないけれども、どうしても昔のようなことになってしまい、果たして当時の教訓は今でも生きているのか、ということは改めて感じる。まあそうね、乾電池だけは常備を欠かさない習慣は付いたか。

そんなことを書きながら間もなく発生時刻を迎える。30年目の節目だけで認識して、終わればまた忘れて、ということではない。地震に対する備えは、いつどこであっても不思議でないことを常に意識しないと。 今週だって震度3以上の地震発生は、特定地域ではなく、全国あらゆるところで起きているわけだ。 決して他人事でなく、常に心のどこかに意識した部分を持ち続けないいけない。特別の地域のこととして片付けるべきでないのが、今日という日の教訓であろうと考える。


post by akira37

05:22

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