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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

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Jリーグ初勝利の日

2006年04月04日

まあ改めるまでもないのですが、今日はJリーグに入って初勝利を上げた日です。

1998年の今日、室蘭入江陸上競技場での1stステージ第4節、相手は今やメジャーになったガンバ大阪です。
このときのガンバにはエムボマという超有名人がいたわけですが、前半途中で交替ということもあり、こちらはバルデスの得点で1-0の勝利だったわけです。

勿論見ていました。天気は快晴でしたが、例によって風は強かったはずです。

にしても初勝利を上げるまでの3試合を見てみれば、すべて得点はしていました。今のチームは常に得点欠乏症ですから随分と変わってしまったものです。

ともあれ明日は正念場でしょう。忍耐を強いられるのか、開放への糸口が見入られるのか。久しぶりのスーツ姿での観戦になります。


コンサ室蘭開催記念トリビア②-室蘭初のJリーグ公式戦

2006年03月24日

正解は98年のコンサVSG大阪戦、ではありません。

その前に、東芝がコンサドーレに名称変更されたのが96年のことですが、94・95年に室蘭でJFLの試合が行われています。

94年9月15日 セレッソ大阪VS富士通川崎
結果は1-0でセレッソの勝利、観衆は約4000人
この試合の日は当時札幌勤務であったものの、連休で室蘭に戻っていたところを外から少し眺めた記憶があります。当時はさほど関心はなく、地元のチームが出ているものではありませんでしたので見に行くつもりもありませんでした。現在なら金を出しても見に行っているはずです。

95年7月2日 京都サンガVS大塚
この試合の結果は0-1で大塚の勝利、観衆は1918人
試合前時点の順位は京都が3位、大塚が2位という上位対決にもかかわず寂しい入りでした。ちなみにこの後京都は最終順位2位になってJリーグ昇格を果たすことになります。

調べていくうちに、この試合の1週間前の6月25日にJサテライトリーグの試合が行われていることが判りました。
従って室蘭でのJ公式戦はこれが初めてということになります。
ちなみに当時の試合形式は1回戦総当り方式、行われた試合はベルマーレVSアントラーズということで結果は0-1でアントラーズの勝利でした。

この試合の観衆は3100人と記録に残っています。JFLの試合よりも多い(苦笑)。道内のJサテライトの試合の観衆としては、恐らく今後も更新されることのない数字だろうとは思います。



コンサ室蘭開催記念トリビア①-ジーコのデビュー

2006年03月23日

25日に室蘭で試合があることから小ネタを紹介します。
と言ってもコンサ誕生以後のことでは面白くないので、それ以前の話を書きましょう。

1991年8月18日に入江で「第16回JSLカップ」の試合として、「三菱自動車(1部)VS住友金属(2部)」が行われています。

午後1時キックオフ、観衆約5千人。ジーコが住友金属に入団して初めての公式戦出場がこの試合でした。
従って、「ジーコの日本国内デビューは室蘭である」ということになります。
当時に記事によりますと、ジーコは「85分まで出場、73分には約30メートルのミドルシュートを決めた」とありますから、初ゴールも室蘭で記録したことになります。

試合は住友金属が4-2で逆転勝ちしています。
現在に置き換えれば「レッズVSアントラーズ」の試合になりますから、ちょっと想像がつきませんねえ。ついでに言えば当時のSS席は2000円でした。

ところでジーコと言えば現在は日本代表監督ですが、昨日発表のエクアドル戦メンバー、相変わらず新鮮味に乏しいです。



ペレイラ

2006年03月03日

先日「ミスターコンサドーレ」ことペレイラ選手を取り上げてから、画像をアップしていませんでしたので今日します。
なぜ今日かって?背中を見れば判ります(苦笑)。

20060303-00.JPG

背番号が3ですから、1997年のものであることが証明できます。
(彼は96-97年の在籍、初年度は唯一空前絶後となる「0」を背負っていたので)

この写真の撮影は約2年前訪問先のとあるマンションででした。
7年も経って貼ってあるということは、ここの管理人か誰かがサポである可能性が高いと踏んでいます。

昨日たまたま近くを通りましたので確認してみましたら顕在でした。
実物を見たい人がいましたご案内します(苦笑)。

さて明日いよいよ開幕となりました。
その割にはWBCがどうとか、オープン戦がどうとかピンと来ない報道の方が多いのが困ったものです。



メモリアルディその4-「コンサドーレ」の誕生

2006年03月02日

過去にもコンサの誕生起源はどこにあるかで書いてきましたけれども、いよいよ真打の登場です(なんのこっちゃ)。

今日は札幌に移転した東芝サッカー部が「コンサドーレ札幌」と命名された日に当たります。
「コンサドーレ」の由来は、皆様知っていますので書きません。

10年前の夕方、ラジオのニュースで第一報を知ったように思うのですが、正直紹介するアナの方も微妙な空気があったように思われます。
その後ニュース映像を見ますと、最初札幌の前を隠していたのをはがす形で発表していましたが、見事な手書きというあたりも一層微妙でしたが。

現在ではJ加盟には愛称もマスコットは必ずしもなくてもよいのですが、当時は必須でした。
もし現在の規約上で誕生していれば、「FC北海道」とか「札幌FC」になっていたかもしれません。「ドーレくん」も誕生していなかったでしょう。

いろいろ言われる向きもあるでしょうが、当時の規約上でチームが出来ていて今は幸せとも思えるのではあります。



ミスターコンサドーレ

2006年02月19日

今朝も早朝から起きてカーリングなぞを見ておりました。
いやあ面白いですなあ。もちろん勝敗もありますが、ゲームとしては駆け引きの要素が大きくて日本人向きかも。

さて10年前の今日は「ミスターコンサドーレ」と後に呼ばれることになるペレイラ選手の入団が発表された日であります。
確か初代JリーグMVPでしたっけ。それがまあ戦力外になってコンサに来るのですから、判らんものです。

しかしまあこの「ミスター」付の称号、どうも個人的には違和感がある。
やはり生え抜きの選手が相応しい。
今なら候補としては曽田でしょうかねえ。
彼には大学の先輩であるゴン中山なみに現役をコンサで全うして欲しいと、勝手に願ってはいます。

ペレイラといえば秘蔵(?)の画像があるのですが、現在遠方からの入力の為アップは後日予定。
うーん今日がオフというのは痛い。



2000年J2第1節

2006年01月29日

昨日の続きになりますが、改めるまでもなくアウエイ鳥栖戦。結果もそらんじる事が出来るくらいではあります。

4-0。
いきなり現在容疑者のハットトリックに1人古巣復帰でJ2降格を逃れた2人のFWの得点で圧勝でした。
正直この試合だけで9割は昇格ありと思ったものですよ。
確かその年の公式ガイドブックにあったキャンプレポートにも空恐ろしいくらいの好調さが描かれていたようですし。

開幕戦の結果がシーズンに如実に反映しすぎるコンサにとっては(2002年以降未勝利-結果は言うまでもない)、今年の開幕戦が6年前の再来となるよう願うわけです。
いや昨日の法則からすれば、充分あってしかるべきですが。



神戸戦の思い出

2005年12月17日

来年J2に降格する3チームの中では、最も対戦数が多いのですが印象度合いは低いように思われます。

実際室蘭でのJ1参入戦も見ているのですが、福岡戦ほどの記憶がありません(恐らく危機感が足りなかったのでしょう)。

その中で足を運んで見た試合の中では2002年のアウエイ戦が印象的でしょうか。
W杯明けの最初の試合。監督もイバンチェビッチに替わって最初の試合(交替理由と前任者には触れず)でした。
惜敗でしたが、内容は可能性を感じさせるものでした。しかしその後も連敗が続いたのは承知のとおりです。

今シーズンは内容が良いけれども勝てない、ということが多かったように思います。この言葉を聞くとき、この試合のことを思い出します。



ヴェルディ戦のこと

2005年12月16日

先日柏戦のことを取り上げたのですが、来年の仲間になるチームが他にもあるし扱いを平等にするために、今日はここを取り上げます。

何といっても個人的には室蘭であった2試合の印象が鮮明であります。

1.98年
当時はラモスもカズもいて、正直大人と子供の差ぐらいはあったような記憶があります。土砂降りで長靴に傘を差して(勿論一番後ろで)立ちっぱなしで薄暗い中見ていました。今年の函館での山形戦も雨がひどかったですが、その比ではありません。

2.01年
前半のウイルと播戸のゴールで圧勝でした。相手のスタメンに前園がいましたが、ぜんぜん機能しなくてハーフタイムで交替させられていましたっけ。サブには後に仲間になる小倉や西田がいました。
この試合NHK-BSで録画放送でしたが、道内向けには総合で生中継があり、しかも10分余計に取ってあって監督・選手のインタビュー付でしたねえ。
今野のデビュー戦との記憶もあり、主審はモットラム氏、放送の方はアナウンサーが沖谷氏(その後東京へ異動して、現在はまた札幌勤務)、解説は両チームに在籍していた高木氏でした。
この試合アウエイのゴール裏で見ていたのですが、ヴェルディサポの悲鳴に似た叫びが一番印象にあります。



柏戦の記憶

2005年12月11日

昨日来年は同じ舞台で戦うことが決まった柏ですが、記憶に残る試合が多いようです。
ここは最初と直近の対戦の記憶の掘り起こしを。

1.98年アウエイ
J1(当時はJ)に上がって3戦目。1・2戦は圧倒的に力の差を見せつけられて未勝利のままでした。放送の方は全国的にはNHK-BS生のみだったのですが、道内ではローカルでもやって見ていました。延長に入ってVゴールかと思われたのがオフサイドでだめで、PK戦に至って敗戦。
この年限りで廃止になったPK戦はコンサは4回経験しましたが、未勝利のままです(96・97年のJFL時代でもPK戦での勝利はありませんが)。

2.02年ホーム
ある意味突っ込みどころ満載の試合です。順当なら勝てた試合です。2-0から追いつかれて延長に入り引き分け。相手にしてみれば玉田のJ初ゴールに、CKをちょんぼしてしまいサポから怒られてしまうなんてことがありました。
実はこの試合の後ドームでも野球の試合があって、当初は大谷地からバスで間に合うという算段をしていたのが延長で計算が狂い、タクシーで向かえば渋滞にはまり結局試合開始に間に合わない、なんてこともありました。ドールズもゲスト出演していますので、彼女らも大変だったはずです。



続・堀井絡みの話

2005年12月09日

無視したわけではありませんが、一昨日は入れ替え戦の第1戦がありました。
夜のNHK「ニュース10」で昔の甲府の様子が出てきましたが、多くの人はそこの堀井の弾幕があったことに気づいていたでしょう。私はその時もう一人のコンサOBの名前を見つけました。96年に在籍していた新明の名を。勿論プレイがどうだったなどとは言えませんが、珍しい苗字ゆえに記憶に残っております。

戻って堀井のことですが、2001年Vゴール後は確か怪我もあってかその年の得点はあの1点のみに留まりました(と書いてみると、今年途中加入のあるFWを思い起こすでしょうが)。その後も2003年以外は正直物足りなさ過ぎる成績でしたから、まあ今年の処遇は致し方ないのかもしれません。というかあのVゴール以上の印象が薄いのが残念でもあります。



堀井絡みの話

2005年12月08日

一番印象に残っているのは、恐らく9割以上の人が賛同するであろうコンサデビュー戦でのVゴールでしょう。あの時は私も隣の見ず知らずのサポと立ち上がってハイタッチした記憶があります。

というのではまともすぎるので、それに関連したことなど。

あの時のTV中継は民放(あえて名を伏せるが)でしたが、録画したものを見てみますと試合中でもCMが入っています。その時の堀井の良い面はVゴールの前にもあって、コーナーでキープした後「なぜか」ゴール前にいたウイルに渡って一旦は逆転するところでした。ところがその場面、丁度CMが入ってしまって流れが見えない。惜しい。

直接関係ないことを添えておきます。当時J1第2ステージは開幕4連敗中でホーム清水戦を迎えました。その前日私はとある病院で日帰りの人間ドックを受けていたのですが、その多数の中に見慣れた顔が。当時は個人情報もうるさくありませんから、番号ではなく苗字で呼ばれます。一致しました。その人は当時のHFC社長の田中氏でした。勿論その時のチーム状況からしても、実際顔色を窺ってみても声をかけられる状況ではありませんでしたが。



98年の記憶

2005年11月26日

チーム誕生の頃は正直模様眺めであった。
96・97年は室蘭での試合しか見ていなかったし。
98年は初のJの舞台ではあり、どちらかといえばミーハーのノリに近くて、ホーム磐田戦で1-6で大敗した試合ですらへらへらした感じで悔しさもなかったように思える。

J1参入戦に当たってはさんざん言われ尽くされているけれども、まずは理不尽なポイント制なる前提があったことは、本当に今でも理解不能ではある。もしもは言ってもしょうがないのだろうが、あの時フリューゲルスの消滅がなければ、少なくとも参入戦の組み合わせ違っていたわけで、返す返すうまくいかないものだとは思うのですよ。

ポジティブに考えれば、もしあの時J1に残留していたら今ほどの愛着がコンサに持てていたかは結構怪しいかもしれない。



福岡戦

2005年11月10日

昨日の続きみたいになりますが、いろいろな観戦の中でも相手が福岡というのは印象に強く残っている試合が多いようです。

1.1998年12月 J1参入戦@入江
言うまでもありませんが、多くの人々が語るように現在の有り様の原点になっています。
2.2001年7月 J1@博多の森
初めてのアウエイ観戦でした。当時は未勝利で鬼門といわれていたスタジアムでした。気持ちの良い勝利後「炎の宴」に参加すべく会場に向かったのですが、予定より早く着きすぎて1階にいたサッポロビール関係者の人々の輪に知らずに混じってしまい、勢いで奢ってもらってしまった事がありました。
3.2003年4月 J2@入江
5-0で圧勝、シーズン当初いた3人の外国人選手が唯一揃い踏みした試合でした。寒い中来ていたわずかな福岡サポがかわいそうでした。
4.2004年7月 J2@博多の森
当時確か14連敗中(引き分けをはさむ)だった状況で、札幌の自宅を出てから24時間以内で戻ってくるような強行軍の中、唯一の目的だったものが救われた試合です。その後の祝勝会で「おしぼり」事件を起こす。

何か博多の夜はたくさん飲んでいた、という記録みたいでもあります。



雪といえば

2005年11月09日

外を見ると雪がちらついていますが、今年は遅いですなあ。

またしょうもないデータを探ってみてみれば、意外と公式記録上天候に「雪」がついていることは少ないです。わずか4試合。そのうち3試合が、まあ当然のことながら室蘭入江になります(残り一つが昨年3月の大宮戦@埼スタというのは別な意味ですごいですが)。
従って見た試合はどれも印象に残ることになりますが、一番は1999年のナビスコ杯(VS福岡)でしょうか。
平日で仕事があるにもかかわらず、行くつもりでチケットを用意。都合で後半から見る形になったら、提示を求められませんでした。確かJ史上初めてオレンジボールを使用していたのが新鮮でしたねえ。
そういえばその時わずか4ヶ月前に皆様ご存知の結果があったわけで、この試合はその屈辱を晴らした形にはなったのですが、なぜその時負けたのか悔しさの方が気持ちとしては上だったかもしれません。

もう4日後にはまた因縁の相手との対戦が待っています。日曜のこの時期のナイトマッチという信じられない設定ですから行くに行けませんけど、黙々と画面前での応援になります。



ナビスコ杯決勝

2005年11月06日

我々の受け止め方としては、3年連続してコンサから移籍した年にその場にいたということになるのですが(さすがに3年連続優勝チームとはならなかったが)。と思い立って決勝戦の過去のデータを調べてみたらある事実が。

毎年コンサOBかその後コンサに移籍してくる選手が存在している...。
唯一の例外が1994年ですが、そこにはその後別の立場でやってくる思い出したくもないであろう彼の名があるけど、まあ含めてもいいでしょう。

ところでナビスコ杯決勝戦といえば、今のところ2000年に一度だけ生で見ています。初の道外、国立競技場、コンサとは関係のない立場での試合でした(アウエイ参戦は2001年から)。
そのときの対戦は川崎F対鹿島で、話題といえば予選時には川崎Fにレンタル中の鈴木師匠が決勝戦では鹿島に戻っていた、というシュールなことくらいでしたでしょうか。試合内容は2-0のスコア以上に鹿島の圧勝で、気候同様に寒かった記憶があります。
そのときのメンバーにはコンサ関係者はいませんでしたが、今見ると川崎F側に3人もその後やってくる選手の名前があるのが新鮮です。

決勝戦にコンサ関係者が今後も出てくるのか、いやそれよりもその場にチームそのものが早く出てくることを期待しています。

勿論そのためには目の前の勝利が必要ですが、夕方キックオフまではさすがに長いなあ。