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【HN】kabao 【生まれ】1973年 【姓】♂ 【家族】妻と2人の息子 【その他】 molkky🥖 Mr.children🎸

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求められるクラブ

2008年11月14日

コンサドーレ札幌の役割、

というより北海道における存在意義って何なのでしょう。


北海道のサッカー界をリードすること?

プロのスポーツクラブとして良い成績をおさめること?

レジャーのひとつとして楽しいひとときを提供すること?


いろいろな答があると思いますし、

どれか正解で、どれが不正解ということもないでしょう。


ただ、

クラブができてからこの間、

成績に左右されないクラブの存在意義を高める努力を、

十分にやってきたといえるでしょうか。


また、

サポーターにとって、

一市民にとって、

企業にとってのそれは違うでしょうが、

それぞれにとっての存在意義を高める努力がなされてきたでしょうか。


サポーターは、市民は、企業は、

クラブに何を求めているのでしょう。


一企業である以上、

愛されることと同時に、

求められるクラブにならなければいけないのではないかと思うのです。




魔球

2008年11月13日

前に1度だけ、

『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞した時に、

東野圭吾さんについてエントリーをしたことがあります。

「容疑者…」以前から原作が映画やドラマにはなっていましたが、

最近の東野作品の人気は物凄いですね。

そして世間の人気とは恐ろしいもので、

あれほど本を読むことの無かった妻までが、

毎日、

毎晩、

東野さんの作品に没頭しているのです。

しかも、

今まで僕が買い集めた東野作品では飽き足らず、

気がついたら僕の読んでない作品が何冊も本棚に並んでいました。


20081113-00.JPG
ちなみに、

僕が始めて東野作品に触れたのは、

 「魔球」

昭和63年、今から20年前のことです(笑)

当時、

野球少年だった僕は、

その名の通り野球を題材にしたこの作品を、

あっという間に読み終えた記憶があります。

ただ、その時は、

なぜか別の東野作品を読もうとは思わなかったのですが(お金が無かったから?)


その後、

高校を卒業し、社会人になってから次第に、

東野作品を買い集めるようになり、

今のところ、

単行本、文庫本、合わせて40冊くらい。

ちなみに、

僕が個人的に好きな作品、

というか強く印象に残っている作品は、

「天空の蜂」 「鳥人計画」 「容疑者Xの献身」 「赤い指」 「分身」 「手紙」(順不同)

あたりでしょうか。

ごく最近の作品を読んだら、また少し変わるかもしれませんが。



ジャンボ

2008年11月12日

これだけでお腹一杯♪

〜北24条「なると」にて〜

081112_191535.JPG



やってみたら?秋春制

2008年11月11日

Jリーグの秋春制については、

犬飼会長の発言以来、

皆さんの反対意見を多数拝見してきましたが、

やっぱり秋春制って、

百害あって一利無しなのでしょうか?


いや、

もちろん僕だって札幌に住む人間ですから、

雪の多さは十分知っていますし、

現状のままではたとえ札幌ドームといえども試合はできませんし、

練習場の確保が困難な事も良くわかっています。


その、

雪と寒さの現状を良くわかったうえでですが、

もしも、

もしもですよ、

全ての雪と寒さによるマイナス面を克服する事ができたら、

それでも秋春制は、

特に札幌にとっての秋春制は、

やっぱり何もメリットが無いのでしょうか?


もしも秋春制が札幌にとってとても大きなメリットがあるとしたならば、

どんな困難であっても克服するのではないでしょか?

それに向かって努力するのではないでしょうか?


やるかやらないかは、

僕らが決める事じゃありませんが、


真夏の蒸し暑いアウェーでの試合が無くなるから札幌が有利だとか、

雪が降る中でのサッカーは札幌が有利だとか、

ゴールキックの時は雪でティーアップできるから有利だとか(爆)、

札幌でなければ発想できないメリットを考えるだけでも、

楽しくないですか?


スタジアムが寒けりゃ、

屋根の他にも、

苫小牧白鳥アリーナのように、

座席の1つ1つにヒーターをつけてもらいましょうよ。


お金はたっぷりあるみたいですから、

ねっ、犬飼さん♪






応援に対する反省と感想

2008年11月10日

今、
札幌のゴール裏では応援自粛という「手段」で、
チームを、クラブを変えようという動きがあります。

もちろんそれは、応援という場や行為を手段にしたものであって、
手段は応援でなくても良かったのだと思います。
ただ、応援が一番伝わり易い事から選ばれたに過ぎないのでしょう。


けれども、今回の出来事は
応援そのものを考える良い機会にもなっているのではないかと思います。


 応援


多くの人は、応援は個人の自由だと言います。
もちろんその通りで、
応援にもいろいろなスタイルがあります。

でも、
「スタジアムでの応援」
ということに限れば、
選手の後押しという目的を否定する人はいないでしょう。
勝利という目的を否定する人はいないでしょう。


では、なぜ今の札幌は、
ゴール裏全体、スタジアム全体が、
ただ1つの目的に向かった応援ができないのでしょう。

もちろん答えは1つではないと思います。

長くコンサドーレを応援してきた人にはその人なりの思いが、

最近コンサドーレの応援を始めた人にはその人なりの思いが、

SB席の人、

SA席の人、

SやSS席の人、

それぞれに思いがあることでしょう。


問題なのはそれを、
「応援は個人の自由」
と言う言葉を盾にして、目を逸らしてきたことではないでしょうか。
そして、サポーター同士の歩み寄りの姿勢や、尊敬、敬意といったものが、
見失われていることではないでしょうか。

もちろん、「戦いの場」だという思いは否定をしませんが、
そういった考え方に全ての人が共感するとは限りません。

では、共感できない人たちをどのように応援に取り込むか。
そこの工夫が不足していると思うのです。

一歩二歩階段を降りて歩み寄る。
老若男女いろいろな人の声に耳を傾ける。

全ての人が参加できる応援スタイルをつくる、
応援そのものが楽しいと思えるものをつくる。

多くの人に「苦痛」や「辛さ」を強いても決して長続きしません。
長続きしないどころか受け入れられません。

全体で応援するには、全体が受け入れられる形に変えていく必要があると思うのです。

クラブ、チーム、サポーターが1つになる前に、
サポーターそのものが1つになること。
そのためには、
発信するだけではなく、
自ら受信することが必要なのではないでしょうか。
それこそが、スタート地点のような気がします。

これが、
僕が1年間ゴール裏中心部で戦ってきたスタジアムの応援に対する反省と感想です。