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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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2006年10月22日
OB戦。
さすがに動きは衰えていたけれど、テクニックのある選手は目立っていた。
その中では伊藤優津樹、石塚がさすがと思わせるプレー(無駄なテクニックの披露)をしていた。
黄川田は前半、ポストにあたったボールを蹴ろうとしてこけてしまい、笑わせてくれたが、得意の頭でゴールを決めた。
私が一番おやっと思ったのは木島だった。「あの23番」は誰だ?
とふと妻に聞いてしまった。頭と体型が木島と思わなかったのだ。
申し訳ない。
しかし、木島は前半、後半とも試合に出続け、すごく活躍していた。
そのスタミナはやはりただ者ではない。
他には雄弁になった田渕や全然かわらない、ペレイラや古川。
そしてコンサ在籍2点目となった山橋のゴールは嬉しかった。
ちょっと残念だったのは、後半が始まる前に試合と被った場内のCM
そして、終了後の歴代選手のインタビューがやはり被ったこと。
時間は十分にあっただけにもっと考慮してほしかった。
2006年10月21日
悲しいのは、後半20分過ぎからぞくぞくと帰った人達がいたことだ。 もうコンサの試合に来ない人がほとんどかも知れない。 この試合を楽しみに遠くからいた人達もたくさんいる。 多くのサポーターにどう言い訳をするのか。 選手達が一生懸命やっていないとは言わないが、結果として10周年の記念試合に泥を塗った。 神戸の早い展開について行けず、カウンターも止められず、飛び出しも止められず、この時期にこんなチームにしてしまった現実や結果は受け止めなければならないだろう。 監督を始め、選手、チーム全体が今年のこの結果をどう反省するのか。 今年の反省は中途半端にしてはならない。 明日からはもう来年のことを考えなければならないだろう。 今日途中で帰ってしまった人達をまた競技場に呼び込むことは非常に難しいだろう。はたしてどのくらいかかるのか。 今日の敗戦の責任は限りなく重い。
2006年10月20日
神戸は好調である。そして現在J2の首位である。 それがどうした? 明日は我らがホームで試合をする。 前々回の厚別での借りを返し、大量点で、叩きつぶしてやる。 10周年記念試合で引き分けや負けは許さない。10年に1度の試合は何が何でも勝たなければならない。 ドームだと不得意?な風もないし、なにせ神戸はドームが初めての選手も多いだろう。神戸の選手が慣れないうちに1,2点取りたい。 選手達にはこの試合は10周年の記念試合だということを心から感じて戦ってほしい。 わずか10年だが、これまでコンサに歴史があり、今後はその歴史を自分たちが創って行くんだという気概を持って戦ってほしい。
2006年10月19日
いい加減岡田を試合に出してもらえないか?
私は最近、いつも思う。
私には岡田が後半、相手が疲れたときに満を持してピッチに送れば縦横無尽に動き回り、活躍する予感がする。
予感だけかと言われれば困るが、今までのサテライトを見ても特に状態が悪くリーグ戦に出場できないことはないと思う。
対戦相手にとっても縦に突破できる選手が控えにいれば驚異になるのではないか。このままでは、今シーズン1度も見る機会がなくなる。
おそらくはリーグ戦に出せる状態ではないと言うのだろうが、1度機会を与えて良いのではないか。
彼自信、今が一番苦しい時期であろう。昨年ほぼレギュラーとして活躍した彼が1試合も出られない。「なぜ出られないのか。」
彼自身出られない理由を理解し、消化して、出られるように努力している状況ならばそれはそれでよいが、答えを見つけられずに悶々としているならば彼には一番良くない。そして腐ってしまっては元も子もない。
1度チャンスを与え、それによって壁を乗り越えられれば、コンサにとってこんなに良いことはないのではないか。例えまだダメと感じてもそれはそれで彼の今後のためになるだろう。
チャンスを与えずにこのままにするのが一番彼にとって良くないのではないか。
J1昇格がほとんどダメになっている状況だ。岡田を出す機会があるのではないか。
2006年10月19日
いよいよ10周年記念イベントのOB戦が迫ってきた。
楽しみにしている方も多いと思う。
私も楽しみにしているのだが、チームはユース・スタッフ対OBという図式になるようだ。
チーム分けだが、なるべく当時在職していたメンバー同士いっしょになるようなメンバー分けを出来ないだろうか。
ユース・スタッフメンバーだと、DFは名塚がいるが、名塚と言えばと相棒は森である。名塚と森を組ませてもらえないか。
一方OBチームのDFはペレイラの相棒は古川か
MFは浅沼と木島は組ませてほしい。そして平川、三浦雅之がDF、
FWは川合
このラインは是非見て見たい。
そして野々村と伊藤優津樹の仲良しコンビ
見てみたいコンビはたくさんある。
今からわくわくしている。
2006年10月18日
今日の試合はまさに「点」で勝負が決まってしまった。 横浜FCはコーナーキックやラストパスを「点」で合わせゴールを決めていった。 一方のコンサはコーナーキックやラストパスがまったく「点」で合わない。 おまけにシュートも枠に行かない。 いくら攻めてもこれではゴールは遠い。 しかし、また、アレモンに決められてしまった。注意すべき選手にまた決められてしまった。 それからなぜ、CKをフッキに蹴らせるのか。上里が調子が悪いからかもしれないが、フッキはゴール前に張らせるべきである。 監督の指示か? 後半はチャンスは結構あった。ラストパスの精度やシュートの精度がいつものように悪かった。まったく学習しないチームである。
2006年10月17日
三浦雅之といえば、私が彼の現役の姿を競技場で見たのは、1試合だけだ。彼は前年は甲府に所属していて、甲府では中心メンバーだったようなことを聞いていた。
道産子だし、コンサには期待されて移籍してきたはずだが試合に出てきたのは遅かった。
私が唯一彼を見た試合の1996年9月29日帯広での東京ガス戦。ポジションは右サイドバックだったと思うが、私の記憶違いでなければ彼は大きな青の?サポーターをふとももにつけていた。痛々しいといった印象があったが、プレーは果敢で激しかった。その他の試合でもテレビで見たのだが、サポーターをつけて出場をしていた記憶がある。
なぜか三浦雅之というと私は彼がつけていた青?のサポーターを思い出してしまう。
2006年10月16日
横浜FCは前節休みであった。これがどう影響するか。
コンサの場合には、西嶋が出場停止。左CBを誰にするか。
コンサの勝利には天敵アレモンを押さえるという仕事が必要だ。
アレモンには去年からやられている印象が強い。
とにかくアレモンを押さえることだ。
コンサはフッキの「でき」がポイントだ。天皇杯から一人よがりのプレー がまた目立つようになった。
トップ下は砂川が出られないならば、また上里の出番になるだろうが、できるだけフッキに下がってボールを持たせないことだ。そのためには上里がボールを多く触ること。自分が仕切る気持ちになってほしい。
横浜FCは1~3位争いで相当、入れ込んだ気持ちで向かってくるだろう。つけ入る隙は十分にある。
先制点を取れば横浜FCはあわてて攻めに来るだろう。そうすれば、追加点も十分に期待できる。
先制点を是非取りたいものだ。
2006年10月15日
上里がどうもおかしい。
やっぱり本調子に戻るにはだいぶ時間がかかるのだろうか。
昨日の試合でも、いわゆる「消えていた」時間が多く、彼らしくないプレーが多かった。
私は彼の特徴の一つはキープ力だと思っている。しかし復帰してからボールをキープできていない。簡単にさばくことが多く、これ自体は悪いことではないが、バックパスが多すぎる。
まだ体が戻っておらず自信がないのだろうか。
良いときだと、ボールをキープし、ドリブルして、ピンポイントのパスをだす。
この一連の動作が最近はほとんど見られない。
上里はボールを触って調子を出す選手だと思う。
まずはボールが触れていないのだ。
上里のところで「ため」ができないので、バタバタとした状態になる。
上里のところでキープできればフッキもそんなに下がってこないだろう。
昨日の試合で、スペースに飛び出す動きも見せていたが、私としてはどうも違和感があった。
上里は人を動かす選手で、動かされる選手ではない。砂川とはタイプが違うのだ。
本調子になるには少し時間がかかるかもしれない。
そこまで見守るしかないか。
2006年10月14日
1-0で勝ってもつまらない試合だと思ったがロスタイムで追いつかれるとは。 予感はあった。1点をとらせてもらってから攻める場面はあまりなし。山形のペースで時間が進んでいった。 これもパスミスの多さや「ため」ができないことからくるもの。前半はそれでもパスカットが多かったのである程度攻めることができたが、後半はそれもできず、絶えずバタバタばたしていた。 それにしてもコンサは守るのか攻めるのかはっきりさせるべきであった。 西谷を入れて攻める姿勢をみせたように思ったが、入れたのはトップ下。1点差、関がよかっただけに仕方がない選択であったかもしれない。しかしこれは完全に結果論ではあるが、関、上里をOUT、曽田、石井をINし、西谷を左サイド、西嶋を左ボランチ、曽田をリベロ、西澤を左ストッパー、石井をFW、相川をトップ下に下げ、攻撃の態勢を整えることもできたのではないか。 まさしく結果論であるが、フッキのPKはラッキーだし、山形の1点も体にボールが当たってそこしかないコースに行った運が伴ったもの。本当は0-0なのだから、もっと攻める姿勢を見せるできではなかったか。 悔いが残る試合だったが、もう見飽きたよ。こんな試合。
2006年10月13日
1996年11月3日天皇杯和歌山大学戦。紀三井寺公園陸上競技場において試合後、試合にはでなかった彼がピッチからスタンドにいた知り合いと思われる人と言葉を交わしていた。
そして次に手を横にして首を切る動作をした。私は彼のその行為を今でも鮮明に覚えている。
「俺は首になった。」ということを動作で示していたのだ。
彼は、切れ味するどいプレーが持ち味でたびたびコンサの勝利に貢献した。そしてその瞬発的なスピードは目を見張るものがあった。
彼は社員選手であったが、シーズン後半からレギュラーに定着し、チームにはなくてはならないメンバーになっていた。
翌年の1997年10月22日コンサがJリーグ昇格を決めた厚別のピッチに相手方の選手として立っていたのもなにかの因縁だろう。(ちなみにこの試合では川合、加藤、後藤静臣といった前コンサの選手もピッチにいた。)
彼もまた川合などと同じく札幌に戻ってきてくれて、解説者やらサッカーの仕事にも携わっている。
彼はたった1年しかコンサにいなかったがもう少しコンサにいてほしい選手だった。
2006年10月12日
山形には「西谷」。山形の天敵「西谷」。コンサにとっては頼りになる「西谷」が復帰しそうである。
問題はポジションか。砂川が出られないならば、トップ下という考えもあるが、決してトップ下で使ってはいけない。いつもの左サイドが1番である。
ふたたび勢いに乗るためには山形戦の勝利が必要である。そのためには西谷の活躍が必要である。西谷とフッキ。そして大塚の代わりの金子にもがんばってもらいたい。
それから上里。天皇杯ではあまり良い活躍はできなかったが、再びトップ下での働きを期待したい。
天皇杯での苦戦がどう山形戦に生かされるか。
2006年10月11日
1997年6月7日江戸川区陸上競技場東京ガス戦 何度もチャンスがありながらなかなか1点がとれないコンサ。 1人退場しながらも圧倒的に攻めるコンサ。 しかし、どうしてもゴールが決められず、PK戦になった。 5人連続してお互いにPKを成功させた後、 山橋の番になった。 心なしか緊張しているように見えた。悪い予感があった。 案の定、キーパーにボールをはじかれてしまった。 チームメイトに慰められる山橋。 私は「泣くな山橋。」「おまえの責任じゃない。」と言いながら 会場を後にした思い出がある。 山橋の私の中での印象はこの試合が非常に強い。 山橋のコンサ在籍中の唯一の1点はその前節の6月1日の西濃運輸戦で、前半途中、動きが悪かった吉原に代わって山橋が入り、見事先制点を決めた。 山橋はゴールこそ1ゴールだったが、 バルデスと組む機会が多く、バルデスのまわりを労を惜しまずに動き回り、 バルデスのゴールをたびたび演出した。 すごくがんばる選手との印象が強い。 現役を引退した後もコンサの解説者として活躍している。 今はあまり見かけないが、サッカーの指導もしているのだろうか。 彼のことだから、何をしても労を惜しまず、がんばっているのだろう。
2006年10月09日
天皇杯でカテゴリーが上のチームが下のチームと戦う場合には結構、カテゴリーが上のチームが苦戦する。
昨日のコンサは1点をラッキーな得点であっさりと先制したので、これは、思っていたとおり大量点だと余裕をかましていたらポスト、バーにことごとく当て続け、自分達でペースをみだし、終了間際に同点にされてしまった。この寒い中、PKに入ったらどうしようかと思ってしまったくらいだ。
昨日の新日鐵大分は良いところでは次々にパスが決まっていた。思うにカテゴーリーが上のチームと当たる場合はいつもより集中力が高まるのだろう。そのため、良いプレーが出やすくなり、パスの出し手や受け手のタイミングがズバリとあう場面が多くなる。コンサの場合はモチベーションが低いとは言わないが、相手より良いプレーを意識しすぎるあまり、自分が自分がという意識が気負いになり、ドリブルを多くしてみたり、出し手と受け手のタイミングが合わなくなってしまうのではないか。まあ素人が勝手に思うのだが。
もっとも昨日の試合の場合にはパス云々を言う前にシュートの精度が良ければこんなことを言わずにフラストレーションはたまらなかっただろうに。
それにしても、あんなにバーやポストに当てた試合は初めて見た。ついには笑ってしまったほどだ。
考えようによっては次の山形戦を考えれば楽勝するよりは、苦戦した方がよかったか。そう考えるしかないか。
2006年10月06日
天皇杯と言えば昨年のことは思い出したくもないが、下部リーグのチームには、やはり戦いにくいだろう。
しかし、フッキが出場するならばそんな心配はおそらくないだろう。
あのドリブルはなかなか止められない。大量点が期待できる。
心配なのは天気。低気圧が予想より早く抜ければ午後から雨は降らないと思うが。荒れた天気では何が起きるかわからない。風も強ければ思うようにはボールを運べない。天気だけが心配だ。
見る方もだいへんだ。
何とかいい天気になるように祈るしかない。
2006年10月04日
毎日新聞の記者の目というコラムに「道民球団を目指す日ハムの地域密着策」が書かれている。 https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/eye3/index.php?p=242 その中にコンサドーレを例にして「強い時は応援するが、弱くなればそっぽを向かないとも限らない。」という記述がある。 9月27日の厚別での徳島戦の観客数と日ハムの札幌ドームでの観客数の差を基にそのような記述をしている。 しかし、日ハムは例え弱くなっても地域密着の模索を続ればファンは逃げないという結論だ。 要するに日ハムはコンサドーレのようにならないようにと言うことらしいのだが、確かに言われてもしかたのない部分もある。 かつて、札幌ドームができたころには、3万人を超える観客がいつも来ていた。今やドームでも1万7,8千人を超えれば大観衆と行った状況だ。 9月27日の厚別はナイター、雨、日ハムの1位をかけた最終戦が札幌ドームであったことなどの悪条件が重なり、4,000人弱でもよく入ってくれたという意見も多いが、これまでのコンサの歴史を考えるとやはり淋しい。この日だけではなく、観客数が落ち込んできているのは、人気選手を次々と放出せざるをなかったこと、やはりJ2に3年もいること、成績が芳しくないことが主な原因だと思う。 コンサだって地域密着の道を探ってきているはずだ。サッカースクールしかり、ユースの強化しかり。 コアなファンが残れば良いという意見もあるだろう。そのコアなサポを増やすという努力も必要だが、コアなサポをとりまくファンの獲得も経営の立場から必要である。 日ハムだって、地域密着をいくら目指しても人気選手が去り、何年も優勝争いに加わらなければ、同じような道をたどるのではないか。 やはり強くなければいけないのではないか。 理想では弱くてもサポが多く来てくれるチームになってほしいのだが。
2006年10月02日
1996年6月23日厚別の日本電装戦。私が初めてコンサを生で見た試合。そこで、Vゴールを決めてくれた選手が川合だった。 川合は勝負強い選手だという印象が強い。年間8ゴールのうち、3度Vゴールを決めている。 他に1対0で勝った試合の2試合とも川合のゴールであった。 グランドではロン毛を振り乱し、ひょうひょうとした感じでゴールを決めていた。 1年で大分に移籍したが、木島もそうなのだが、札幌に帰ってきてくれた。 Uターン組の一人だ。 今はコンサの熱血サポーター解説者?として活躍しているが、実はレッズも好きらしい。 でもこれからもあのおもしろい?解説をずっと聞かせて欲しい。
2006年09月29日
1996年コンサドレマガジンVOL.6の表紙に浅沼の晴れやかな笑顔がアップで載っている。
10月27日(日)対富士通川崎戦(現在のフロンターレ)。最終戦のサンクスウォークだ。
浅沼は攻撃的MFで主に右サイドをドリブルで駆け上がり、センタリングを上げ、また、チャンスと見るや自らシュートを打っていくという小気味良いスタイルでピッチを縦横無尽に駆けめぐっていた。
彼は東芝の社員選手にもかかわらずコンスタントに試合に出続けた。
その一生懸命なプレースタイルは、多くのサポを魅了した。
当時はコンサで1,2を争う人気選手だったのではないか。
私も好きな選手の一人だった。
一時は社員選手の大量解雇の中に入ったが、翌年プロ契約をして、札幌に残った。
その後は目立った活躍はしていないが、やめてからもコンサのコーチになり
これまでコンサを支えてくれている。
選手やコーチの立場から彼が一番長くコンサのことを見てくれている。
私は彼に何れコンサの監督をやってもらいたいと思っている。
なんたって一番コンサのことを知り、理解してくれている人だと思うから。
2006年09月27日
前半は攻めながらも得点できず、カウンターを食らい危ない場面も結構あった。 前半に失点していたらわからなかった試合である。 そのなかでも智樹が奮闘していた。中盤で相手のカウンターをたびたび止めてピンチを救っていた。 なんといってもフッキの芸術的なゴールが勝負を決めた。あのゴールで流れは完全にコンサのものになった。 6点もとったが決して浮かれてはいけない。6点をとったことにだまされてはいけない。2点以降はおまけみたいなもの。フッキのゴールがなかったら危ない試合だった。 雨の中、声援を送ったサポーターはたいへんだった。ずぶぬれだが、6点は寒さを忘れさせてくれた。 それにしても、観客が3,800人とは悲しい限りだ。私も厚別に到着して 周りをみたが、見るからに少なかった。厚別での最低記録ではないか。 これも、チームの成績がかんばしくないせいだ。選手はこれまでの戦いを反省すべきである。 それから曽田が途中交代させられた。おそらく攻撃時の気の抜けたミスパスが原因だろうが、猛省してほしい。 いずれにしても、これからの試合でゴールは簡単にとれるなど思ってほしくない。 悪かった点をきちっと反省して次の試合に生かして欲しい。
2006年09月26日
明日は徳島戦。平日のナイター。ホームだし、リーグ戦の中断期間を気分良く迎えるため、絶対勝たなければならない。
徳島は前節柏にスコアレスドロー。調子は悪くない。
徳島は前節3バックだった。
3バックなら1対1の個々の戦いになる。
4バックでもコンサはこれまでの戦いで慣れているはずだ。
簡単にいく相手ではないが、恐れる必要はない。今までの戦い方で戦えば十分に勝てる。
今日、白恋にいっていたが、池内と西谷のみ別メニューだった。
心配された芳賀は問題はない様子だった。明日は前回のメンバーとなるだろう。
前節の大勝はすっぱり忘れ、勝つことのみに専念して欲しい。
2006年09月25日
私には深川はとにかく一生懸命、がんばる選手という印象が強い。 ピッチを縦横無尽に走り抜け、底知れぬスタミナを見せてくれた。 コンサの降格と昇格を知っている数少ない選手の一人でもある。 FWだが、結構MFとして汗かき役もしてくれた。 私が印象深いのは、実はリーグ戦ではなくて1999年4月7日の室蘭で行われた福岡とのナビスコカップの戦いだ。 その前年、参入戦で破れ、そしてリベンジをかけて戦った室蘭での戦い。 室蘭は当日、雪が降っており、非常に寒い1日であった。 その雪のなか、深川は途中出場で見事決勝点を決めてくれた。 雪なので黄色のカラーボールを使用していたが、深川の思い切って打ったボールはゴールネットを揺らし、そのまま気温が低いためかゴールネットに張り付いてしまった。一瞬ゴールしたかどうかわからなかったほどだ。 深川はあのバルデス、エメルソン、ウィルの3人と2トップを組んだFWでもあった。(他にそんな選手はいただろうか?) 個性の強い3人のFWを支えてくれた選手でもあり、地味だがいい仕事をしてくれた選手だ。 また、深川はサポにもいつも笑顔で接してくれて、物腰が柔らかく、良い人過ぎるほど良い人だ。しかし、私の印象に過ぎないが、良い人過ぎたせいかプレーにもう少しわがままな部分があってもよかったかなと思っている。 とにかく今なおコンサのために働いてくれている。U-18のコーチとして、どんどん選手をトップチームに送り出してほしい。
2006年09月23日
久々に溜飲をさげさせてくれた試合だった。
今日は監督の采配があたった。それは石井から相川への交代。
これが今日のポイントだっただろう。
軽いプレーが目だった石井を下げて正解だった。
相川は今日はポストプレーや飛び出しが良かった。
幻の逆転ゴールとなった、相川のシュートも相川の手には当たっておらず、
本当ならそこからゴールラッシュだっただろう。
このようにこのチームは乗るとものすごい力を発揮する。
毎回コンスタントにこんな力が出せればいいのだが。
今日はすっきりさせてくれた試合だった。
これからとにかく連勝しよう。これまでいらいらさせられた分、もう少し気持ちよくさせてくれたっていいだろう。
2006年09月21日
遅ればせばがら、日刊の長島記者の「サポーター目線で考えてほしかった。」プログについて考えてみた。
多くのサポの皆さんが書かれているとおり記事を見るにつけ違和感を感じ、いや腹が立ってきた。
彼は何年コンサの試合をみているのだ。ビデオでも良いが1996年からの試合を何試合見たのか。
彼は「ユーススタッフが多くなるのはわかるが数あわせと受け止められても仕方がない。」と書いているが、例えば浅沼の例を言えば1996年10月浅沼など社員選手の残留を願って当時のサポが署名活動をしたことは知っているのか。
日刊でも1996年10月30日付けでほぼ一面を使い「札幌東芝社員選手に大ナタ、浅沼戦力外」とその時の様子を書いている。
そして、その翌日解雇報道がされたことを知ったサポ達から相当の抗議の電話がHFCにあったのだ。
彼らが当時のサポの多くにいかに愛されていたか。
三浦や関や深川等についてもそれぞれの時代にコンサのために懸命に戦ってくれた戦士たちである。
その選手達を簡単に数あわせと切り捨てる記事は許せない。
そうではなくはっきり言ってコンサの選手として試合に出ていないユーススタッフである森下、四方田、賀谷各コーチのことを言っているのか。
コンサの選手として試合に出ていないコーチ達を出さずにもっと外国人選手を呼べということか?
そういうことであれば確かに一理はあるが、今は3人ともコンサの一員で何年もコンサのためにがんばってくれており、試合にでる権利は十分に持っているだろう。外国人だって、バルデス1人を呼ぶ金だってどのくらいかかるのか。
私としては、個人的にはペレイラやウーゴの姿をまた見てみたい。
しかし、HFCの苦しい財政事情も考慮してあげなければ。
私としては公表された出場選手だけでお腹が一杯である。
サポの気持ちをわかったように「サポの目線で」など軽々しく書いてほしくはない。
2006年09月21日
「たぁ~ぶ~ち」のサポのかけ声が今でも耳に残っている。田渕龍二。
彼の思い出にあの浦和戦のゴールをあげる方が多いだろうが、
あの試合については私はバックスタンドで観戦して間近で見たのだが、ゴールした後の彼の表情が忘れられなかった。
「田渕、田渕」のサポの賞賛のコールに嬉しくて笑いたいけど笑いをこらえた照れた表情を思い出す。
田渕というと、黙々と右サイドを駆け上がっていく姿が忘れられないが、
実をいうと私は彼に不満を持っていた。彼の常々守備的な戦い方に「もっとチャンスがあれば上がれ。」とつい叫んでしまったものだ。
田渕の守備的な戦い方は当時の左サイドの攻撃優先主義の結果でもあったろうが、もっと攻撃的になれと考えていたのは彼は1対1に非常に強く、ボールをひとたび持ったならば突破する確率は高いと思っていたからだ。 それだけ彼に期待していた。
彼はインタビューでも照れ屋さんだった。そして印象深かったのがラーメンの話。よく雑誌で田渕のインタビュー記事を見たがラーメンはやっぱり徳島がうまいと言い続けていたことだ。
彼は言動には芯があると思ったものだった。
2006年09月21日
道新の佐藤記者がえらいポジティブな記事を書いてくれたが http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060921&j=0036&k=200609213269 言われるまでもなく、11連勝という大げさなものではなく少しでも連勝を続けてくれればJ1昇格などとうに諦めているサポも少しは溜飲がさがるというものだ。 湘南戦は前回厚別で大敗しているだけに湘南戦は余計に勝ちにこだわるサポが多いはず。 まずは、勝利を手に入れたい。 自信と代表の雰囲気を体に染みこませただろう石井に期待したい。 それから石井の代表候補選出に当然刺激を受けただろう同世代の上里、智樹 藤田など若い選手達はもっとがんばれ。
2006年09月17日
今日の宮の沢は天気がよく、メインスタンド側は暑かったようだが、私が見た場所のバックスタンド側は暑くもなく、寒くもなく程良い気候であった。 一方、ピッチのなかの状態だが、前半はユースから上がって間もないレッズの選手達に良いようにパスをまわされ、ボールを奪ってもパスミスの繰り返しで気温は下がりっぱなし。上里のロングシュートや相川のドフリーシュートがポストに当たり、セバがPKをはずす状況にいたってはピッチ内温度は零下になってしまったかのよう。 それでも、後半は徐々にポゼッションもあがり、ボールを奪ってカウンターも徐々に決まりはじめ、セバ?のパスから上里へ上里から中山へのパスが通り、中山の見たことのない?まぐれ?いや、素晴らしいボレーシュートで先制した。 このようにラストパスがきちっと決まると点がとれるのだ。 それにしても、ユースから上がって間もない浦和の選手のパスの精度は高かった。それに比べてコンサの選手間の連携の悪さはどうしようもない。 これまでトップのチームも含めこの何ヶ月も何をやっていたのか。 後半はコンサの1対1の強さや個人の突破がようやく発揮されて川崎のバーに当たるシュートやフリーキック、藤田や岡田のペナルチィエリアへの突進など惜しい場面が続出して、会場を沸かせたが、最後の最後あっさりCKから得点を決められ、勝ち試合を引き分けた。 サテなので、勝負より、試合内容を見たいが、ここぞというところの、パスミス、シュートミスの多さは、トップと同じであった。 一言でいうと「歯がゆい」とでも言ったらいいのか。 どうしたらこの「歯がゆさ」は解消されるのか。
2006年09月16日
ポゼッションは上回っていたが、相変わらずの、ラストパスの精度のなさ、とシュートミス。
特に石井の1対1のシュートミスはいただけない。
その場面は素早く足を振り抜けば入っていただろう。
まだ経験に乏しいのかどうも緩急を使えない。
相川といい石井といい、1対1のシュート練習をもっとしてもらいたい。
それから中央での攻めは主にフッキと石井のワンツーパスを使い、強引に中央突破を図っていた。
多用しすぎだ。ミドルを打つとか、もう一度サイドに開くとか工夫が感じられなかった。
西谷が入ってから少し攻撃に変化が見られたが、やはり、ここぞというところで、パスミスシュートミスが相次いだ。
今日の仙台の状態では完勝しなければいけなかっただろう。まあ、そういう試合が非常に多いのだけれど。
今日、唯一明るい話題は西澤だ。久しぶりのピッチだったがなかなかしぶとく守っていた。
それにしても勝てそうで勝てない試合が多すぎる。
2006年09月14日
次節の仙台戦はかなりの苦戦が予想される。J1昇格に向けエンジンがかかってきており、そして勝ち無しの札幌戦。おまけにホームであれば相当な気迫で向かってくるだろう。
これに対し、コンサは冷静に対処すること。そして極力パスミスをしないこと。フッキのサポートを早くすること。
中盤の攻防に負けないこと。ポゼッションを高めること。
そして、相手は力んで前がかりになってくることが予想される。
それこそがチャンスだ。素早く人数を多くかけて攻撃すること。
なにより、頭を冷静にして勝ち点3をとってきて欲しい。
(※また、所用のため土曜日まで更新できません。)
2006年09月13日
今日、6時20分頃厚別に着いて周り見た感想が「ベーニゲ」。 私がドイツ語で今なお覚えている、唯一の単語で「少ない」との意味。 今日の入場者数は5千人台だったが、見るからに少なかった。 これで、負けたら本当にお寒い限りだった。 前半は水戸のやる気のない戦いぶりにも助けられたが、よくボ ールも人も動いていた。 ゴール裏からは「攻めろ。攻めろ。」コール。初めてゴール裏から 戦術のコールを聞いた。選手も少しは感じ取るものはあったのではないか。 後半も序盤は良かったが、1点をとられてからが良くなかった。 もっと点がとれたはず。2点3点をとって相手の息の根を止めなければダメだ。そこが今のコンサの悪いところだ。 特に相川のドフリーのシュートミスや1対1のはずしっぷりはどうしよ うもない。猛反省して、1対1のフェイントのかけ方とか猛練習すべきである。 J1に昇格するチームはこんな試合は5,6点はとるだろう。それができない我がチームに弱さを感じた試合だった。
2006年09月08日
神戸はいま調子が良い。 おまけに前回は厚別で惨敗した。 強敵だが、前回のリベンジがコンサの宿題として残っている。 もうJ1昇格だのなんだのと言わなくて良い。 とにかく前回、大恥をさらされた相手をやっつけることだけを考えて欲しい。 明日は西谷とフッキのコンビに期待したい。そして前節、監督のやり 玉にのぼった上里と藤田。悔しかったら監督のコメントで誉められるような 活躍をしてほしい。 ※ 実は来週、ちょっと遅い夏休みをとって旅行するため更新は水曜 日までできません。ということで水戸戦の展望も 次節の水戸戦こそリベンジあるのみである。いい加減に勝ってほしい。 そのためには絶対に先取点をとること。 ホームで水戸に3連敗など許されるはずがない。選手は死にものぐるいで戦 ってほしい。そしてちょっと気になるのが桑原である。成長も見たいが、まずはコンサが勝つことである。
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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