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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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2025年09月08日
今日のスポーツ報知には創社長のインタビューが載っていた。
J2札幌 石水創代表取締役社長単独インタビュー…8月の指揮官交代に「後悔なし」1年でのJ1復帰へ「必ず結果はついてくる」 ↓ https://news.yahoo.co.jp/articles/af1478a71e43e207b6e58178a353664413e28b1f
抜粋
J2北海道コンサドーレ札幌の石水創代表取締役社長(43)が、強き良きクラブに戻るため、さらなる改革に取り組んでいく。7日、スポーツ報知の単独インタビューに応じ、ビジョンを語った
1月、石水氏はコンサドーレの社長に就任した。4月にGMが退任。役員人事を含めてフロントを刷新した。8月には岩政監督から柴田監督へ、指揮官交代にも踏み切った。様々な決断の思いを改めて口にした。
「一つ言えるのは悪気を持って物事をやっている人はいない。ただ結果であったり、クラブの方向性と合わなければ、プロの世界だったら辞めてもらうしかないかなと。決断に対して後悔みたいのは全くない。クラブが良くなるための決断だったので。トップが全部責任を持ってやるっていう強い覚悟は持ってやっているので」
昨年は社外取締役としてクラブに関わってきた。社長となり気付きは多々ある。
「いい時って誰が社長をやってもいいと思うんですけど、僕がなぜこのクラブに入ったかっていうと、良くない状況だったから。そういう時はみんな危機感を持っているから改革がしやすい。そこはしっかりと自分がやっていこうと。僕が考えるのは強化よりも経営のところ。7期連続の赤字で、今年もたぶん終わった段階で7~8億くらいの赤字が出る。そもそも予算を組む段階で3億赤字みたいな、経営が全然なってないというところがあった。本来であれば50億の売り上げをつくり、移籍金なども6億入って、絶対に黒字を出さないといけなかったが赤字が出てしまった。僕も去年取締役として入っていたのですごい責任を感じている。全てオープンにしながら待ったなしで改革していかないと。ちょっと時間はかかりますけど、どのくらいの規模で運営していかないといけないのかなどを含め、ストーリーは見えている」
前監督を解任した際、「攻撃的サッカーを体現できなかった」と理由を口にした。石水社長の思い描くコンサドーレのサッカーとは何なのか。
「僕がスタイルを抱くということではなくて、あくまでコンサドーレの『走る戦う規律を守る、その笑顔のために』というフットボールのフィロソフィー(理念)なので。見ている人が楽しい攻撃的なサッカーを僕も望んでますし、実際に選手のアンケートでも一番大きなキーワードは攻撃的。それはコンサドーレの歴史の中で積み重ねてきたものだから、それが体現できていないのであれば厳しいなとなった。今は1―0で勝ってる状況でもゴール前を固めて守るとかではなく、最後まで攻めの姿勢を見せている。こういうサッカーだったよなって。僕の中で印象深いのは(2019年)ルヴァンカップの決勝 ああいう試合が何試合もあったと思うんですけど、あれが札幌のサッカーだったなって。外から加入した選手と話すと『札幌とやるときは楽しかった』って言われる。殴り合い、打ち合いみたいな。勝っても負けても楽しかったと。相手からそう言われるサッカーってすごいなと。今、変わってきてるなと皆さんに思ってもらえているなら、良かったと思いますね」
「コロナ(禍の影響)で、交流の場がすごく減ってしまったなと。もう一度、企業や学校訪問だったり行政回りとか、選手と道民が触れ合う機会をもっと増やしていかないと。以前はやってたのにコロナの期間で止まった状態になった。世の中はコロナが明けたのに、クラブはそのまま何もやらない感じになってしまっている。そこは力を入れたいので、選手全員に1か月に1回、必ず(学校訪問などで)外に出てと話して、実際にやってもらってる。選手にも間違いなく学びはあるし、学校にプロの選手が来てテクニックとか見て触れ合うだけで、じゃあ次は試合を見に行ってみようと間違いなくなる。そういうタッチポイントをどのクラブよりも一番やろうと取り組んでます」
選手がクラブの思いを感じ、動くためには理解が必要。風通しを良くするため、全選手との面談も終えた。
「本当に一試合一試合がトーナメントの感じになる。戦うのはもちろん選手だが、クラブ全体だけでなく、サポーター、パートナー企業を含め、一丸となって戦わないと。僕もそうですけど『大丈夫かな』とか『どうなんだろう』とか不安な気持ちもあるとは思うけど、大事なのは頭の中にある夢を打ち砕こうとする心、『ドリームキラー』に打ち勝つということ。そこをしっかりとやれば、最後、必ず結果はついてくると思ってます」
驚いたのは、「7期連続の赤字で、今年もたぶん終わった段階で7~8億くらいの赤字が出る。そもそも予算を組む段階で3億赤字みたいな、経営が全然なってないというところがあった。」という発言。これは真面な会社ではないだろう。 創社長が危機感を持って、自ら乗り出したのは仕方ないと思う。 今期は赤字としても来季は絶対に黒字にしないとJリーグ資格を剥奪される。
ただし、このサイト(https://cieloazul310.github.io/jclub-financial-table/)では
「1番目は従来の「3期連続赤字の禁止」ルールです。2番目はJ1ライセンスに限り純資産が十分に大きい場合は3期以上連続の赤字を認めるという内容です。2018年の規則改正によって新設されました。」とし、前期の決算で3期連続赤字になった場合、次シーズンのJ2クラブライセンス、J3クラブライセンスは交付されない (財務基準F.01) 前期の決算で3期以上連続で赤字が続き、その最終年度の純損失額が純資産額を上回っている場合、次シーズンのJ1クラブライセンスは交付されない (財務基準F.01) としておりJ1ライセンスに関しては特例があり、3期以上連続で赤字が続いた場合でも、最終年度の純損失額が純資産額を上回っていなければ、ライセンスが交付される可能性があるとのことだ。 詳しく調べていないので、断定はできないが、「最終年度の純損失額が純資産額を上回っていなければ、ライセンスが交付される可能性がある」という内容が今も生きていても経営はやはり健全化させないといけないと思う。 その意味ではどちらにしても2026年期はかなり経営的に厳しくなり、多くの出血を伴うだろう。ゆえにこのことを踏まえてもJ1昇格しなければいけない。(J1昇格すれば、大口のスポンサーが増える等、収入は増えるはず。もちろんJ1でも経営の健全化から主力選手のある程度の放出はやむ負えなくある程度の出血はあるだろう。) また、J2のままではかなりの主力を放出せざるを得なく、年俸の低い若手選手中心の体制になるだろうし、J1昇格は何年かかるかわからなくなってしまうような状況になる可能性が高いと思う。ゆえにとにかく遮二無二でも奇跡を起こしたい。
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